佐藤浩市と父・三國連太郎の確執と絆|寛一郎へ継承された名優の血脈

佐藤浩市と父・三國連太郎の確執と絆|寛一郎へ継承された名優の血脈

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名優・三國連太郎(本名:佐藤政雄、1923年1月20日〜2013年4月14日)の人生は、波乱そのものでした。群馬県太田市に生まれ、静岡県伊豆の地で育った彼は、戦中戦後の激動期を放浪と過酷な軍務の中で生き抜きます。戦後、銀座を歩いていたところをスカウトされ、松竹映画『善魔』(1951年)で映画界に足を踏み入れました。その際の役名「三國連太郎」をそのまま芸名にしたエピソードは、彼の伝説の幕開けとして広く知られています。

私生活において三國は4度の結婚を経験しており、3人目の妻との間に1960年12月10日、東京都で誕生したのが佐藤浩市です。しかし、佐藤浩市が小学5年生(当時11歳頃)の時、三國は家庭を去ることになります。多感な少年期に父の不在を経験した佐藤浩市は、母の手ひとつで育てられました。母を支えながら育った環境が、後の強烈な自立心と、父に対する複雑なアンビバレンス(愛憎半ばする感情)を形成する原点となりました。

世代 / 項目氏名(本名)・生没年役者としての特徴・代表作親子関係におけるスタンス第1代(父)三國 連太郎
(佐藤 政雄 / 1923-2013)『飢餓海峡』『釣りバカ日誌』シリーズ
徹底した役作り(抜歯など)で知られる怪優芸の道を絶対視。家庭人としての責務よりも表現者としての狂気と業を貫いた第2代(子)佐藤 浩市
(佐藤 浩市 / 1960-)『青春の門』『忠臣蔵外伝 四谷怪談』『64-ロクヨン-』
日本アカデミー賞主演・助演男優賞を複数回受賞「三國の息子」を拒絶し本名で勝負。現場でのプロ同士としての対等な対峙を志向第3代(孫)寛一郎
(佐藤 寛一郎 / 1996-)『心が叫びたがってるんだ。』『菊とギロチン』『せかいのおきく』
日本映画批評家大賞等の新人賞を多数受賞父や祖父の威光に頼らず「寛一郎」として活動。自然体かつストイックに役と向き合う
山下 哲也
著者

山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。