昭和のワイドショーを激震させた藤間紫と三代目市川猿之助の関係は、長年「世紀の不倫」「略奪愛」という刺激的な見出しで消費されてきました。しかし、二人の歩みを仔細に検証すると、単なる道ならぬ恋という言葉では片付けられない、表現者同士の魂の共鳴が浮かび上がってきます。
二人の馴れ初めは、猿之助がまだ「三代目市川團子」を名乗っていた12歳の少年の頃に遡ります。藤間勘十郎の稽古場に通っていた猿之助にとって、師匠の若き妻であった藤間紫は、息をのむほど美しい憧れの存在でした。その後、猿之助が青年となり歌舞伎界で頭角を現すにつれ、憧れは燃え上がるような恋情へと変化していきます。
当時、藤間紫は16歳年上。猿之助は1965年に女優の浜木綿子と結婚し、翌年には長男の香川照之が誕生していましたが、家庭生活は長く続きませんでした。猿之助の心の中には常に藤間紫の存在があり、1968年には家庭を離れて藤間紫のもとへ走り、同棲生活をスタートさせます。
当時の手記やインタビューにおいて、猿之助は「紫がいなければ今の自分の歌舞伎はない」「私の芸のすべてを理解し、導いてくれた人」と繰り返し語っています。単なる恋愛感情を超え、スーパー歌舞伎の創出をはじめとする革新的な舞台制作において、藤間紫はプロデューサーであり、同志であり、かけがえのないミューズでもありました。