「総裁=総理」という方程式は絶対のルールではなく、日本の憲政史を振り返ると総裁と総理が別々だった例が実際に発生しています。それはいずれも、政界再編や連立政権の荒波によって単独過半数が崩れた局面でした。
最も象徴的な事例が、1993年の「細川護煕連立内閣」の誕生です。1955年の結党以来、38年間にわたって政権を維持し続けた自民党が衆院選で過半数を割り込み、非自民・非共産の8党派連立によって政権交代が実現しました。このとき、自民党のトップであった河野洋平総裁は、与党ではなく野党第1党のリーダーとして国会にとどまり、首相には日本新党代表の細川護煕氏が就任しました。まさに「総裁」でありながら「総理」ではない状態が生まれた瞬間です。
さらに世間を驚愕させたのが、翌1994年に発足した「村山富市連立内閣」です。政権復帰を狙う自民党は、長年の宿敵であった日本社会党と新党さきがけによる奇策の連立政権を樹立しました。この際、衆議院で第1党だった自民党の河野洋平総裁は自らが首相になる道を選ばず、社会党委員長の村山富市氏を首班指名で推し上げ、首相に就任させたのです。河野総裁自身は副総理兼外務大臣として入閣しました。
「与党第1党の総裁」が首相にならず、他党の党首を首相に立てるというこの歴史的選択は、自民党のしたたかな政権維持戦略であったと同時に、総裁と総理が法的に分離可能であることを全国民に知らしめる契機となりました。
ここで、世界的な視点として首相と大統領の違いを比較しておくと、日本の構造がより鮮明になります。アメリカの大統領は、議会とは完全に独立した直接選挙(選挙人制度)で国民から選ばれます。そのため大統領は議会の解散権を持たず、議会も原則として大統領を不信任できません。対照的に日本の首相は、常に議会の信任に首根っこを掴まれているからこそ、与党の結束を維持するために「自民党総裁」の強大な統制力が必要とされるのです。