映画レビューサイトやSNSを調査すると、本作に対する温度差は非常に顕著です。米国の代表的な批評集積サイト「Rotten Tomatoes」において、2007年の前作が批評家支持率93%、オーディエンススコア87%という圧倒的な大絶賛を獲得したのに対し、続編である『魔法にかけられて2』は批評家38%、観客51%(2026年確認データ)と手厳しいスコアを記録しました。なぜこれほどまでに評価が分かれてしまったのか、編集部の取材と観客の分析から4つの根本的な原因が浮かび上がってきます。
第1の要因は、作品のアイデンティティであった「現実社会へのシニカルな風刺」の喪失です。前作の最大の魅力は、アニメーションの完璧なおとぎの国「アンダラシア」から過酷で無機質な大都会ニューヨークへ放り出されたジゼルが、現実世界の常識と衝突しながら巻き起こす痛快なカルチャーショックでした。離婚弁護士の現実主義、ホームレスやネズミたちを手懐けるシュールな掃除シーンなど、ディズニーが自らの「お約束」をメタ的に笑い飛ばす切れ味があったのです。しかし今作では逆に「現実世界をおとぎ話の魔法で変えてしまう」という真逆のプロットを採用したため、皮肉にも“普通のディズニーファンタジー映画”へと後退してしまった印象を観客に与えました。
第2の要因は、主人公ジゼルの「邪悪な継母(ヴィラン)化」に対するファンの心理的拒絶です。15年間ファンが愛し続けてきたジゼルは、純真無垢で誰に対しても無償の愛を注ぐ永遠のヒロインでした。ところが本作では、魔法の副作用によって彼女の内面から徐々に冷酷で意地悪な継母の邪心が湧き上がってきます。エイミー・アダムスの演技力自体は凄まじいものの、「ジゼルが義理の娘に嫌味を言い、嘲笑する姿は見たくなかった」という精神的ショックを受けた旧来のファンが少なからず存在しました。
第3の要因は、舞台設定のスケールダウンとファミリードラマへの矮小化です。ニューヨークという大都市の喧騒から、郊外の住宅街「モンロービル」へと舞台が移り、物語の主軸は「思春期を迎えた娘モーガンとのすれ違い」という普遍的すぎる家庭問題に収束しました。どこにでもある郊外のママ友カーストや住宅トラブルの延長線上で物語が進むため、前作にあった胸躍るアドベンチャー感が薄れてしまったという指摘は免れません。
第4の要因は、劇場用映画から配信専用映画へのシフトに伴う演出のスケール感です。本作はアダム・シャンクマン監督の手腕により豪華なミュージカルナンバーが揃っているものの、配信プラットフォーム向けの設計ゆえに、一部のCG表現や美術セットにテレビ映画のような平板さを感じた観客もいました。前作が誇っていた劇場映画ならではの贅沢な高揚感を期待していた層にとって、この仕様変更は物足りなさを助長する結果となりました。