明治政府が推し進めた鹿鳴館時代欧化政策は、幕末に結ばれた不平等条約の改正を勝ち取るため、「日本は欧米列強と対等な文明国である」と内外に誇示する政治工作でした。設計を手がけた英国人建築家ジョサイア・コンドルの手による壮麗な煉瓦造の洋館には、各国の外交官が集まり、連夜のように舞踏会や晩餐会が催されました。
そこで突如として必要となったのが、欧米の宮廷プロトコールに準拠した正装です。当時の日本において、公家や大名家の出身である女性たちが日常着ていたのは、身体を締め付けない直線裁ちの和装でした。しかし政府は、鹿鳴館舞踏会衣装として女性たちにも洋装を義務付けます。明治二十(1887)年には昭憲皇太后が自ら洋装を奨励する思召書を出し、宮廷服飾の西洋化が決定づけられました。
外交の成否が、女性たちのドレスの着こなしにかかっている――。当時の貴婦人たちに課せられた重圧は、単なる社交の愉しみとは程遠い、国家防衛にも似た過酷な任務そのものでした。