絵手紙文化を日本中に広めた第一人者であり、日本絵手紙協会を立ち上げた書家の小池邦夫氏は、生涯を通じて「ヘタでいい、ヘタがいい」というメッセージを発信し続けました。生前の手記や講演、関係者の証言を丹念に辿ると、この言葉が世間一般で誤解されがちな「技術はどうでもいい」「適当に描けばいい」という投げやりな意味ではないことがはっきりと分かります。
小池氏が警鐘を鳴らしたのは、小器用にまとめようとする作為や、他人の目を気にして自分を良く見せようとする虚栄心でした。自著や対談で語られた「筆の持ち手を一番長く持ち、呼吸を筆先に預けて引く線には、その人の生き方そのものが滲み出る」という言葉が示す通り、震える線や歪んだ輪郭線こそが、作為を削ぎ落とした純粋な人間性の発露であると捉えたのです。
小池邦夫氏が遺した数々の名言の中でも、特に多くの愛好家の胸を打ち続けるのが次の言葉たちです。
- 「花を育てるように言葉を探し、大地に根を張るように線を引く」:技巧に走らず、モチーフと徹底的に対話することの尊さを説いた言葉。
- 「手紙は自分を届けるもの。上手に描こうとした瞬間に、自分はいなくなる」:体裁を取り繕う意識が、相手との純粋な心の通い合いを遮断してしまうことを鋭く指摘した箴言。
- 「ヘタの底には本音がある。ウマいの底には打算がある」:不器用さの中に宿る純粋な真心を讃え、表現の優劣という固定観念を根底から覆した名句。
これらの思想が教えるのは、絵手紙の言葉とは「頭でひねり出す標語」ではなく、「対象に触れて心が動いた瞬間の叫び」でなければならないという真理です。筆の毛先が紙に触れる触感、顔彩が水を吸って広がる偶発性と向かい合いながら紡がれる言葉は、技巧を越えた神聖な存在感を放ちます。