国鉄分割民営化を語る上で避けて通れないのが、政治と労働運動の激しい衝突です。この大改革の陣頭指揮を執ったのが、1982年に就任した中曽根康弘元内閣総理大臣でした。中曽根首相は第二次臨時行政調査会(土光臨調)の答申をテコに、「増税なき財政再建」と「戦後政治の総決算」を標榜し、電電公社(現NTT)や専売公社(現JT)に続く最大のターゲットとして国鉄に照準を合わせました。
当時の国鉄の職場環境は、利用者の信頼を失墜させる決定的な問題を抱えていました。その震源地となったのが、圧倒的な組織力を持っていた国鉄労働組合(国労)や全動労(全日本国立医療労働組合とは異なる全日本動力車労働組合・動労)といった強力な労働組合です。1975年に行われた8日間に及ぶ「スト権奪還ストライキ(スト権スト)」をはじめ、違法な順法闘争や政治運動が常態化し、利用者を置き去りにしたダイヤの乱れや「親方日の丸」にあぐらをかいた傲慢な接客態度が社会的な大バッシングを浴びていました。
中曽根元首相は後に、民営化の狙いについて「国労を解体し、総評(日本労働組合総評議会)を崩壊させることで、社会党の支持基盤を崩す政治的な目的があった」という主旨の証言を公にしています。つまり、国鉄改革は単なる赤字企業の再建にとどまらず、戦後日本の政治構造そのものを塗り替えるための極めて高度な権力闘争の側面を色濃く帯びていたのです。結果として、民営化方針をめぐって労組側は内部分裂を起こし、民営化反対を貫いた国労は急速に影響力を低下させていくことになりました。