右目の視力を失った事実は、青年期の彼に暗い影を落とすどころか、後の芸能界入りにおいて類まれな「異形性」と「記号性」を付与する契機となりました。早稲田大学中退後、保険外交員や喫茶店のマスターなどを経て、漫画家・赤塚不二夫らに見出されて上京した1970年代半ば、タモリは当初黒いアイパッチ(眼帯)を装着してアンダーグラウンドの舞台や深夜番組に出演していました。
当時のテレビ界において、片目に黒いアイパッチを当て、形態模写やインチキ外国語芸を披露するタモリの姿は、異端児そのものでした。『空飛ぶモンティ・パイソン』を彷彿とさせるアバンギャルドな佇まいは熱狂的なサブカルチャー層を魅了したものの、ゴールデンタイムや昼の生放送に進出するには、あまりにもアングラで威圧的な印象が強すぎたのです。
そこで転機となったのが、1970年代後半から始まった「アイパッチから濃色サングラスへの移行」でした。目を覆い隠すという医学的・心理的な必要性を満たしつつ、怪しげな近寄りがたさを「都会的で洗練されたシニシズム」へと転換させる演出上の工夫でした。1982年にスタートした伝説的長寿番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の司会就任時には、すっかりサングラス姿がお茶の間の日常風景となり、傷跡やハンディキャップを感じさせない不世出のポップアイコンが完成したのです。