現在でこそ「天賦のオーラを持つ大女優」として君臨する夏木マリですが、そのキャリアは決して順風満帆なエリートコースではありませんでした。1971年に本名の中島淳子名義で清純派歌手としてデビューするも鳴かず飛ばず。1973年に「夏木マリ」と改名し、フィンガーアクションを交えた「絹の靴下」で大ブレイクを果たしたものの、その栄光は長くは続きませんでした。
20代後半になると人気は急降下し、全国のキャバレーやナイトクラブを回る過酷な巡業生活を経験。関係者の証言や当時の手記によると、過度のストレスや過酷な環境から喉を痛め、声が出なくなる絶望も味わったとされています。しかし、彼女はこの挫折の時期に「自分には何もない。だからこそ本物の技術を身につけなければ生き残れない」と覚悟を決め、小劇場やミュージカルのオーディションを自ら受け始めました。
演出家・蜷川幸雄の舞台への出演や、演出・振付・出演を自身で手がけるコンセプチュアルな舞台表現『印象派』シリーズの立ち上げなど、40代以降に仕掛けた挑戦が現在の夏木マリの骨格を作りました。「華やかな現在」の裏には、10年以上に及ぶ泥臭い下積みと、挫折をエネルギーに変えた執念が存在していたという事実は、現代を生きる多くの働く人々にとっても示唆に富むエピソードです。