春日局と徳川家光の美談は非常にドラマチックですが、国語学者や民俗学者の間では「後世に作られた俗説(附会説)」とする見方が有力です。江戸時代の文献記録や言語変化を精査すると、より生々しい庶民文化の痕跡が浮かび上がってきます。
江戸時代の古文書や上方狂言、近世文学の用例を調査すると、子どもの泣き声をあやす言葉として「ちちんぷい」や「ちちんぽ」に類する幼児語が複数確認されます。民俗学者・折口信夫らの研究領域にも通底しますが、古来日本の民間呪術では、意味をなさないリズミカルな破裂音(パ行・タ行の連続)に邪気を払う退魔の力があると信じられていました。
また、禅宗の真言(マントラ)や密教の呪句が庶民の間で崩れ、子どもの耳に心地よい音韻へと変化したとする説も無視できません。つまり、「子どもをあやす呪言がもともと民間に存在し、後から教訓めいた『智仁武勇は御代の御宝』という漢字が当てはめられた」というのが、実証的な歴史学の結論です。