私たちが親しんでいるてるてる坊主には、大陸から渡ってきた伝承と日本独自の歴史が複雑に絡み合っています。てるてる坊主 由来 真相を紐解くと、2つの有力な起源に行き着きます。
第1のルーツは、中国の民間信仰に登場する「掃晴娘(サオチンニャン)」です。大雨によって水没の危機に瀕した街を救うため、天の神へ自らの身を捧げて天候を回復させた悲劇の少女の物語です。中国では、紙で作った少女の人形に小さな箒(ほうき)を持たせ、門前に吊るして晴天を祈る風習があり、これが平安時代から江戸時代にかけて日本へ伝来したとされています。
第2のルーツは、江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』(1830年)などに記録されている僧侶(坊主)の伝説です。連日の豪雨に苦しむ殿様の前で祈祷を行ったものの雨を止めることができず、怒りを買った僧侶が処刑され、その首を白い布で包んで吊るしたところ翌日見事に晴れ渡ったという陰惨な伝承です。これが人形の形状の由来になったという説も根強く残っています。
大正時代に発表された浅原六朗作詞・中山晋平作曲のてるてる坊主 歌の歌詞 意味においても、この生々しい歴史の影が色濃く反映されています。1番と2番では「晴れたら金の鈴をあげる」「甘いお酒を飲ませてあげる」と優しく語りかけますが、3番の歌詞は衝撃的な警告で締めくくられます。
「それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ」
現代の幼稚園や学校教育現場では3番が省略されるケースが大半ですが、かつての祈祷が命懸けの契約であったことを物語る貴重な民俗的記録といえます。