なぜ同じ「いっぱい」という言葉に、ふたつの異なる漢字が割り当てられたのか。東洋文字学の権威である白川静の知見や国語学の史的解明を紐解くと、古代中国の漢字の成り立ちと日本の和語が融合した興味深い経緯が浮かび上がる。
白川静の解釈によれば、「精」という漢字は「米」と澄み切った状態を示す「青」の組み合わせであり、雑味を削ぎ落とした最も純粋な生命のエッセンスを意味する。したがって「精一杯」とは、自己の純粋なエネルギーを器に満たす行為、つまり内発的な限界への挑戦を象徴している。
一方で国語学の観点からは、「目一杯」は日本独自の視覚的・空間的な感覚から生まれた慣用表現とされる。度盛りの「目」に達するまで満たすという具象的なイメージが起源だ。口語表現において「目一杯(めいっぱい)」が長音化し「めいいっぱい」と発音されるようになったことで、「精一杯」の音と混同される現象が定着したと考えられている。