記念館のエントランスに足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが広場に堂々と羽ばたく「火の鳥」の巨大モニュメントです。平和と生命の尊厳を象徴するこのシンボルは、来館者を日常から一気に手塚治虫の壮大な物語世界へと引き込みます。
手塚治虫は1928年に大阪府豊中市で生まれましたが、5歳から医学専門部を卒業する24歳までの多感な約20年間を宝塚の地で過ごしました。当時の宝塚は、モダンな宝塚大劇場や宝塚ホテルが立ち並ぶ洗練された文化都市であると同時に、武庫川の清流や御殿山の豊かな森が広がる自然の宝庫でした。昆虫採集に熱中した少年時代の観察眼や、宝塚歌劇の華やかなステージから吸収した演出技法こそが、後の名作群の血肉となった事実は自著や数々の証言資料にも詳しく記されています。
本館が多くのマンガミュージアムと一線を画しているのは、「作品の陳列」にとどまらず、手塚治虫という一人の人間が抱き続けた「自然への畏敬」と「命の貴さ」という通奏低音を空間全体で表現している点にあります。記念館の構想自体、手塚治虫の没後5年にあたる1994年に宝塚市によって「青少年に夢を育ませる場」として具現化されたものであり、その理念は展示の隅々にまで脈々と息づいています。