ネット上の簡易的なあらすじまとめや読書レビューでは、ジュリアン・ソレルを「美貌を武器に人妻を手玉に取るサイコパス的プレイボーイ」「出世欲に憑りつかれた卑劣漢」と単純化して断定する論調が散見されます。しかし、これは作品の核心を見落とした重大な誤読です。
スタンダール自身が自伝的著作『アンリ・ブリュラールの生涯』の中で語っているように、ジュリアンの性格造形には作者自身の「過剰な自意識」と「社会に対する鬱屈」が生々しく投影されています。ジュリアンの本質は、冷酷な計算高さではなく、むしろ触れれば血がにじむような自尊心の過敏さ(ルサンチマン)にあります。
彼がレナール夫人の手を握ろうと決意する場面でも、動機は性的な欲望ではなく「今夜夫人の手を握らなければ、自分は臆病者として自分自身を軽蔑しなければならなくなる」という、奇妙な義務感と劣等感の裏返しでした。マチルドとの恋においても、常に「平民の身分を貴族令嬢に笑いものにされていないか」という恐怖と戦っています。計算高い悪人になりきれない不器用な純粋さ、そして社会規範に同化しきれない異端児の孤独こそが、ジュリアン・ソレルという人物を不朽のアンチヒーローたらしめているのです。