全国的な撤退の危機に瀕しながら、なぜ西日本限定という形を選んで生き残ることができたのか。その背景には、生産体制の効率化と地域ごとの明確な支持率格差が存在していました。
明治は製造ラインの抜本的な集約を決断し、グループ会社である「四国明治」の松山工場(愛媛県松山市)へ生産拠点を一本化しました。この松山工場から陸送や内航海運で効率的に製品を届けられる供給可能エリアを精査した結果、物流コストが採算ラインに収まる西日本地域に絞り込まれたのです。
地域別の需要格差も決定打となりました。東日本では「カールチーズあじ」の売上が主力を占めていた一方、西日本では昆布や鰹のダシを効かせた「カールうすあじ」がソウルフードとして圧倒的な人気を誇っていました。特に関西圏では「おやつといえばカールのうすあじ」という確固たるポジションが確立されており、ブランドへのロイヤルティが東日本よりも格段に高かったのです。この西日本ファンの揺るぎない購買力が、ブランドの完全消滅を水際で食い止める原動力となりました。