日本銀行券の肖像に女性が選ばれる背景には、国際的なジェンダーギャップ指数への意識や、近代国家としての成熟度をアピールする国家ブランディングが密接に関わっています。世界各国でも、英国のエリザベス女王やオーストラリアの女性活動家など、紙幣における女性肖像の登用は時代の要請となってきました。
しかし、そこで採用される女性像には、ある一定の「社会学的フィルタリング」が無意識にかけられています。すなわち、社会秩序を乱さず、献身や自己犠牲、あるいは純粋な知性を象徴する「無毒化された模範的女性像」です。
樋口一葉は貧困に耐えながら命を削って名作を遺した悲劇の天才、津田梅子は私利私欲を捨てて女子教育に殉じた聖職者として物語化されやすい特徴を持ちます。対照的に、与謝野晶子は情熱の赴くままに師匠であった与謝野鉄幹と激しい恋愛に落ち、世間の不倫批判を跳ね返して結ばれ、生活費を稼ぐためにがむしゃらに原稿を書き殴った「野性のリアリスト」でした。
【プロの結論】国家のシンボルに回収されない「晶子の生々しさ」が持つ真の価値
社会学やジェンダー論の観点から導き出される結論は、「お札の肖像に選ばれなかったことこそが、与謝野晶子という表現者が国家の都合のよい偶像に飼いならされなかった証である」という点です。
お札の肖像になる人物は、死後に角を削られ、教科書的な偉人としてパッケージ化されます。しかし晶子の本質は、人間の欲望、嫉妬、母性、怒り、矛盾をすべてさらけ出したところにあります。紙幣の枠組みという「国家の承認」に収まらない巨大なエネルギーを持っていたからこそ、彼女の言葉は令和の現在もなお色褪せず、人々の心を揺さぶり続けているのです。