1978年夏、日本テレビ放送網株式会社が開局25周年記念事業として世に送り出した『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』。総合司会に萩本欽一を迎え、徳光和夫らが脇を固めた熱気溢れる生放送は、当時のメディア界に鮮烈な衝撃を与えた。福祉や障害者支援を前面に掲げたこの大規模なチャリティ番組は、日本社会におけるボランティア意識の醸成に大きく寄与したことは疑いようのない事実だ。
当時は、長時間にわたる生放送バラエティ自体が極めて異例の挑戦だった。深夜のスタジオに漂う独特の緊張感と、真夜中に巻き起こる熱狂。タレントたちが手探りで参加し、全国の街頭や日本武道館に善意の寄付金を手にした人々が押し寄せた光景は、昭和のテレビ文化が生んだ一つの到達点と言えた。だが、番組の規模が巨大化し、商業主義との調和が求められるにつれ、掲げた理念と現場の現実との間に生じた隙間が次第に目立ち始める。