世間が「消えた」と認識した背景には、過酷なフリートーク番組への適応難と、キャラクター芸人特有のジレンマがありました。ひな壇バラエティ全盛期において、ギター侍のフォーマット以外の立ち回りを模索した波田陽区は、激しいプレッシャーとスランプに直面します。
当時の報道や本人の述懐によれば、一時は仕事が激減し、月収が数万円から十数万円程度にまで落ち込む過酷な低迷期を経験。現状を打破しようと、不死鳥をモチーフにした「フェニックス波田」への改名や、様々な新キャラクターの試行錯誤を行いましたが、世間の反応は冷ややかで迷走が続きました。
プライベートでは2007年に元保育士の一般女性と結婚し、2009年には第一子となる長男が誕生。一家の大黒柱として家族を養わなければならない重責を抱えながら、東京の芸能界で生き残る厳しさに苦悩する日々が続きました。