なぜ偶像崇拝は禁止されるのか?宗教のタブーと現代推し活の深層

なぜ偶像崇拝は禁止されるのか?宗教のタブーと現代推し活の深層

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ネット上の言説や海外比較でよく見られるのが、「日本人は八百万(やおよろず)の神を信仰し、仏像も人形も拝むから、世界で最も偶像崇拝に寛容な民族だ」という単純化された言説です。しかし、この解釈には重大な宗教学的盲点が存在します。

神道の聖域である神社に足を運ぶと、拝殿の奥にある本殿には、基本的に「神の顔や姿を彫り込んだ人間の形の像」は置かれていません。神社の神体(しんたい)として祀られているのは、鏡、刀、勾玉、あるいは背後の山や巨木・巨石(神奈備・磐座)です。神道における神は特定の物体そのものではなく、目に見えない霊威が一時的に依り憑く(よりつく)「依り代(よりしろ)」として物質を利用します。神霊は招かれ、祭りが終われば去っていく非局在的な存在であり、神そのものを木像に固定化して恒久崇拝することは古来忌避されてきました。この点において、本来の神道は極めて高度な「無偶像性」を保持しているのです。

また、近代哲学の父フランシス・ベーコンが提唱した「4つのイドラ(偶像)論」を振り返れば、偶像とは決して木や石の彫刻に限定されないことが分かります。

  • 種族のイドラ:人間の感覚や構造そのものに起因する錯覚(物事を擬人化して見てしまう傾向)
  • 洞窟のイドラ:個人の育った環境や偏見による狭い視野
  • 市場のイドラ:言葉の不適切な使用や噂話による混乱
  • 劇場のイドラ:既存の学説や権威ある教義を鵜呑みにすること

新約聖書の『コロサイの信徒への手紙』第3章5節でも「貪欲は偶像礼拝にほかならない」と断言されているように、「お金」「社会的地位」「特定のイデオロギー」「SNSの承認数」など、人間が絶対化して盲従してしまうものすべてが現代の偶像です。形ある像を拝んでいないからといって、偶像崇拝から自由であるとは決して言えないのです。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。