1981年秋、松田聖子の人気はまさに社会現象と化していました。連日の歌番組出演、全国ツアー、映画の撮影、雑誌の取材が分刻みで詰め込まれ、睡眠時間は連日2〜3時間という極限状態。その代償として彼女を襲ったのが、深刻な喉の異変でした。
前作「白いパラソル」で見せていた突き抜けるようなハイトーンの「キャンディ・ボイス」は影を潜め、喉は炎症を起こしてかすれ、声帯結節やポリープの手前まで追い詰められていたのです。当時の関係者の証言によると、レコーディングスタジオに現れた彼女は喋る声すら掠れており、スタッフの間には「今日のレコーディングは中止せざるを得ないのではないか」という重苦しい空気が張り詰めていたといいます。
その空気を一変させたのが、本作の作曲とプロデュースを手掛けた大滝詠一でした。稀代の音響職人であり、妥協を許さない完璧主義者として知られていた大滝は、彼女の擦れた声を聞いた瞬間、周囲の予想とは正反対の言葉を口にしました。
「今の聖子さんの声、すごく良いよ。キャンディ・ボイスにはない大人の憂いと切なさがある。このハスキーな声のまま録ろう」
大滝詠一は彼女の喉に負担をかけないようキーを入念に調整し、過度なリハーサルを行わずに彼女の直感的な感性を最優先させました。スタジオブースに入った松田聖子は、痛む喉をかばいながらも驚くべき集中力を発揮し、わずか数テイクで奇跡的なボーカルトラックを完成させたのです。絶望的な体調不良というアクシデントを、唯一無二の表現力へと反転させた瞬間でした。