官邸5階の総理応接室。津波の襲来直後から、そこは怒号と焦燥が渦巻く前線基地と化していた。「電源が全て喪失した」という一報が入った瞬間、専門知識を持つはずの原子力安全・保安院の担当者は返答に窮し、具体的な被害規模すら答えられなかった。当時の菅直人首相は、机を叩きながら情報の遅れを激しく詰問したという。
独自取材に応じた当時の官邸中枢にいた元政務担当秘書官は、これまで公にしてこなかった緊迫の舞台裏をこう明かす。「誰も真実を教えてくれない。官僚も東電も、最悪のシナリオを口にするのを恐れていた。総理がヘリで現地へ向かうと決めたとき、周囲は被曝リスクを恐れて猛反対したが、総理は『自分の目で確かめなければ何も判断できない』と一歩も引かなかった。あの張り詰めた空気は今でも夢に出る」。
ベント(排気)の遅延、水素爆発の衝撃、そして東京から半径250キロ圏内の住民数百万人を避難させるという「壊滅的シナリオ」の作成。闇の中で下された一つひとつの決断は、後世の評価がどうあれ、極限の孤独の中で絞り出されたものだった。