長引く物価高や将来への不安、格差の拡大が指摘される現代の日本において、国民が皇室に投影する感情も変化しています。昭和や平成の時代に形成された「国民のために無私で尽くす完璧な姿」という理想像と、自らの意思や権利を尊重しようとする現代の皇族の姿との間に、大きな認識のズレが生まれているのです。
日々の生活に余裕を失った人々にとって、皇族の個人の選択や自由な振る舞いは、時に「恵まれた者の身勝手」として映ってしまうことがあります。秋篠宮家へのバッシングの根底には、現代社会の閉塞感や人々の抱える不満が、象徴的な存在へと向けられているという側側面を否定できません。