では、そもそもなぜ舞台として「狭山」の名を冠する地域が選ばれたのでしょうか。ここには、宮崎駿監督個人の人生と、日本の失われゆく里山環境に対する強い思い入れが存在します。
宮崎監督は1970年代から埼玉県所沢市に居を構えており、日常の散策コースとしていたのがまさにトトロ 狭山丘陵 モデルとして知られる一帯でした。武蔵野の面影を残す雑木林、湿地、水田、そして古くからの農家が点在するこの地は、高度経済成長期を経て急速に宅地開発の波に晒されていました。
宮崎監督は自著や講演において、トトロという作品について次のように語っています。
「かつて私たちが暮らしていた日本の風景、目に見えないけれど森の奥深くに潜んでいた『何か』に対する畏敬の念を取り戻したかった。トトロは神様でも悪魔でもなく、太古からこの土地に住み着いているオバケ(精霊)なんです。」(当時の制作意図に関する各種手記・インタビューより再構成)
宮崎監督にとって狭山丘陵は、悲惨な事件を想起する場所ではなく、人間と自然が調和していた「失われゆく日本の原風景」の象徴だったのです。後に監督自身が主導し、狭山丘陵の自然を開発から守るためのナショナルトラスト運動「トトロのふるさと基金」が設立されたことからも、この土地に対する深い愛情と環境保護への意志が読み取れます。地域名が「狭山」という一点で重なったことこそが、後年の都市伝説の最大の呼び水となってしまった皮肉な巡り合わせと言えます。