敵は本能寺にありの意味と由来|光秀の心理とビジネスでの使い方

敵は本能寺にありの意味と由来|光秀の心理とビジネスでの使い方

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「敵は本能寺にあり(てきはほんのうじにあり)」とは、「真の目的や標的は、表向きに掲げている場所とはまったく別のところにある」という企図を指す言葉です。周囲には別の目的地へ向かうと見せかけて油断させ、密かに本来のターゲットを狙い撃ちにする状況を表す際に用いられます。

天正10年(1582年)6月2日未明、織田信長から中国地方の毛利攻めで苦戦する羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の救援を命じられた明智光秀は、1万3000人規模の軍勢を率いて丹波亀山城を出陣しました。兵士たちは当然、西国の毛利軍を討ちに行くものと信じ切って行軍していましたが、桂川を渡ったあたりで進路を東の京都方面へと急旋回させます。このとき、主君である織田信長が宿泊していた京都・本能寺を急襲する直前、光秀が自軍の兵士たちに向けて放ったとされる号令が「敵は本能寺にあり」です。

この劇的な進路変更により、完全に無防備だった信長はわずかな手勢とともに本能寺で自刃に追い込まれました。この故事から、「陽動の裏に隠された真の標的」を指す代名詞として定着しました。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。