現在でもネット上の知恵袋やSNSにおいて「中森明菜のデビュー曲って何だっけ?」という問いに対し、「少女A」と即答してしまうユーザーが後を絶ちません。この強固な誤認が生まれた背景には、昭和の音楽メディアの構造と、2枚目シングルが社会に与えたカルチャーショックの凄まじさがあります。
デビュー曲『スローモーション』は、業界関係者や耳の早い音楽ファンから絶賛されたものの、リリース直後のオリコン初登場順位は低迷していました。新人アイドルがゴールデンタイムの歌番組へ出演する枠は極めて限られており、ブラウン管を通じて全国の茶の間にその顔と歌声が浸透するまでには時間を要していたのです。
そこに投下されたのが、デビューからわずか3カ月後の1982年7月28日に発売された2ndシングル『少女A』(作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明)でした。
ポニーテールに視線を鋭く据えたジャケット写真、ツッパリや不良少女カルチャーを反映した挑発的な歌詞、そして歌謡ロックのビートに乗せた低音のハスキーボイスは、日本全国に凄まじい衝撃を与えました。TBS系『ザ・ベストテン』や日本テレビ系『ザ・トップテン』といった国民的音楽番組へ初ランクインを果たし、お茶の間の視線を釘付けにした瞬間がまさにこの『少女A』だったのです。
大衆の記憶において「テレビで初めて目撃した鮮烈な姿」こそが事実上のデビュー体験として刷り込まれ、結果として「中森明菜=少女Aで世に出た」という記憶のすり替えが定着したと言えます。