いまや新日本プロレスの絶対的な主役として君臨する内藤選手ですが、そのキャリアは決して順風満帆なエリート街道だけではありませんでした。元々は類まれなプロレスセンスから「スターダスト・ジーニアス(天才)」と称され、棚橋弘至選手や中邑真輔選手に続く正統派ベビーフェイスのホープとして期待を集めていたのです。
しかし、2013年に新日本プロレスの最高峰トーナメント『G1 CLIMAX』で初優勝を果たした直後から、運命の歯車が狂い始めます。団体側の過度なプッシュとファンの求める熱量にギャップが生じ、会場からは凄まじい大ブーイングを浴びる事態に発展しました。翌2014年1月4日の東京ドーム大会では、ファン投票によってメインイベントの座からセミファイナルへと事実上の降格処分を受けるという、レスラー生命を揺るがす屈辱を味わいます。
「ファンに喜んでもらいたい」「期待に応えなければならない」という焦燥感に苛まれ、膝の大怪我にも苦しんでいた内藤選手は、2015年5月に単身メキシコ(CMLL)への遠征を決断しました。そこで出会ったのが、ルーシュ(RUSH)やラ・ソンブラ(La Sombra=現アンドラーデ)らが結成していた反体制派ユニット「ロス・インゴベルナブレス(Los Ingobernables=制御不能な奴ら)」でした。
当時の特番インタビューや手記において、内藤選手はメキシコで受けた衝撃を率直に告白しています。観客の歓声やブーイングに一切媚びず、自分たちの感情の赴くままにリングを支配する彼らから投げかけられた合言葉こそが「Tranquilo(焦るな)」でした。「周囲の顔色を伺って焦る必要などどこにもない。自分の信じるタイミングで動けばいい」――その哲学に触れた瞬間、内藤選手のなかで長年縛られていた呪縛が音を立てて崩れ去ったのです。
2015年夏、漆黒のスーツとソンブレロ(メキシコの伝統的な帽子)を身に纏い、完全に変貌を遂げて日本へ帰国した内藤選手は、EVIL、BUSHI、SANADA、高橋ヒロムらと共に「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)」を立ち上げます。リング上でどれほど野次られようとも、実況席やファンを焦らしに焦らし、「トランキーロ!あっせんなよ」と言い放つ不敵な態度は、かつての優等生イメージを完全に破壊し、瞬く間にプロレス界最大のムーブメントを巻き起こしました。