京都仙洞御所の起源は1627年(寛永4年)、江戸幕府が後水尾上皇のために造営したことに始まる。作庭を手掛けたのは、天下の名工・小堀遠州。しかし、遠州が完成させた当初の豪壮な構成は、後水尾上皇自身の繊細で大胆な美意識によって幾度も改修された。結果として生まれたのは、作為を極限まで削ぎ落とした「自然以上の自然」だった。
日本庭園・伝統建築史の視点から見ても、仙洞御所の池泉回遊式庭園は特異な進化を遂げている。北池と南池の二つの大きな池を中心とし、それぞれが全く異なる情感を湛える。かつて仙洞御所内に存在した建築群の多くは度重なる火災で失われたが、雄大な庭園そのものがひとつの巨大な建築物として今日まで守り継がれてきた。この歴史的重みこそが、庭園の隅々に張り詰めた緊張感の源泉だ。