メディア論および現代社会学の視点から久米宏氏の足跡を再考すると、彼が選んだ「晩年の過ごし方」には現代人が学ぶべき極めて重要な教訓が含まれています。
テレビという巨大メディアは、出演者に底なしの自己承認欲求を植え付けます。多くの名司会者が、老骨に鞭打って画面にしがみつき、時に生放送で失言を重ねたり反応の鈍さを露呈して晩節を汚してしまうケースは枚挙にいとまがありません。昭和の芸能界に蔓延していた「生涯現役こそ美徳」という呪縛に、久米氏は決して囚われませんでした。
久米氏はメディアや世間との間に、健全な「心理的バウンダリー(境界線)」を厳格に敷く能力に長けていました。「自分が最も鋭利な表現者でいられる限界値」を冷徹に客観視し、その限界を迎える手前で自らフェードアウトする知性を持っていたのです。過剰にメディアに消費されることを拒絶し、妻との私的空間を死守する姿勢は、SNS全盛の承認欲求過剰な現代社会において、人間としての尊厳を保つための教科書と言えます。
人生後半の手本にすべき人と慎重になるべき人の判断基準
久米宏氏の生き方は誰もが模倣できるものではありません。この生き方が人生の指針として向いている人と、向いていない人の条件は明白です。
【向いている人】:自らの能力の限界を客観的に受け入れられる人、肩書や他者からの称賛がなくても個人的な知的好奇心や趣味で内面を満たせる人、生涯を通じて対等に語り合えるパートナーシップを築いている人。
【向いていない人】:他者からの注目や賞賛が自己肯定感の源泉になっている人、社会的なポジションを失うことに強い恐怖を覚える人、夫婦や家庭内で自立した関係性を築けず世間の評価に依存してしまう人。