国民的番組ゆえに、メンバーの交代や降板は常に世間の耳目を集めてきました。表向きの「一身上の都合」の裏で、現場では何が起きていたのでしょうか。
最初の激震となったのが、1969年の立川談志降板事件です。時事風刺やインテリジェンスを求める談志のストイックな要求に対し、三遊亭金遊(後の4代目三遊亭小圓遊)や林家こん平ら若手・中堅回答者が反発。「談志の笑いは高慢すぎる」として、収録当日に回答者全員がスタジオへの出演を拒否する前代未聞の集団ボイコット劇へと発展しました。プロデューサー陣の仲裁も実らず、理想を追い求めた談志は自ら番組を去ることになったのです。
対照的に、視聴者の涙を誘ったのが桂歌丸から春風亭昇太への司会交代理由でした。晩年の歌丸は慢性閉塞性肺疾患(COPD)などの重い呼吸器疾患を抱え、体重は36キロ近くまで激減。舞台袖に酸素吸入器を設置しながら司会台に立っていました。「これ以上、視聴者に心配をかけながら司会を続けるのは番組に失礼だ」という落語家としての誇りから勇退を決断。自らの後任に、回答者の中で最も番組全体を客観視できていた昇太を指名したのです。
また、歌丸の盟友であり番組の知性派として君臨した6代目三遊亭円楽の病気療養と最期も忘れることはできません。肺がん、大腸がん、脳梗塞と相次ぐ大病に倒れながらも、リハビリを経て2022年8月に高座と笑点への復帰を果たしました。しかし同年9月30日に逝去。追悼特番で見せたメンバーたちの落涙と空席の紫色の座布団は、番組史に残る名シーンとして語り継がれています。
一方、芸風のミスマッチに苦悩したケースもあります。2016年に加入した林家三平は、昭和の爆笑王の看板を背負いながらも、大喜利の瞬発力において厳しい視聴者の批判に晒され続けました。制作陣への取材によると、本人の「もう一度一から古典落語を勉強し直したい」という真摯な申し出により、2021年12月に円満卒業。伝統の重圧と向き合った末の決断でした。
そして2024年3月、55年間にわたり黄色い着物で「おバカキャラ」を演じ抜いた林家木久扇が86歳で勇退。初代メンバーの魂を受け継いできた最後のレジェンドが、健康なうちに次の世代へ席を譲るという美しい引き際を見せました。