『伊都内親王願文』が生まれた背景には、平安初期の宮廷を巡る人間関係と、母を想う皇女の深い情愛が存在します。
願文の主である伊都内親王は、第50代桓武天皇の第8皇女です。父帝の寵愛を受けながらも、母である藤原平子(藤原乙叡の娘)を早くに亡くしました。母の死後、伊都内親王は母の菩提を弔うため、山階寺(現在の奈良・興福寺)の東院に生前所持していた水田五十町や山林などの莫大な荘園資財を寄進することを決意します。
願文が作成された弘仁14年は、母の十三年忌にあたる年と推測されています。現世の栄華が無常であることを嘆き、母の魂が苦しみの世界から救われて極楽往生を果たすことを願う切実な想いが、格調高い漢文の中に凝縮されています。単なる事務的な寄進状ではなく、親王の魂の叫びを能書家が代筆したからこそ、これほどまでに熱量の高い筆跡となったのです。