ミッキーマウスという不世出のキャラクターは、順風満帆な開発環境から生まれたわけではありません。その起源を辿ると、ウォルト・ディズニーが味わった生涯最大の裏切り劇「オズワルド事件」に行き着きます。
1927年、ディズニー・スタジオはユニバーサル・ピクチャーズ配給のもと、青いパンツを履いた陽気なウサギのキャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を制作し、空前のヒットを飛ばしていました。意気揚々とニューヨークへ赴き、配給プロデューサーのチャールズ・ミンツにギャラの増額交渉を持ちかけたウォルトに対し、ミンツが突きつけたのは冷酷な通告でした。「契約書上、オズワルドの所有権はすべて配給側にある。制作費を20%カットする。不服ならスタジオのアニメーターを引き抜いて自分たちで作るだけだ」。
信じていた敏腕アニメーターたちのほとんどがすでにミンツ側に寝返っており、ウォルトの手元に残ったのは、無二の親友であり天才作画監督のアブ・アイワークスと、わずか数名のスタッフだけでした。契約書の不備によって自身が生み出した愛息同然のキャラクターを合法的に奪い去られたウォルトは、帰郷する大陸横断鉄道の車中で屈辱に震えながら、手帳に新しいキャラクターのスケッチを描き殴ったといいます。
ウォルト自身が晩年のテレビ特別インタビューで述懐した言葉は有名です。
「失望して列車に乗ったとき、私には何も残っていなかった。しかし、頭の片隅にいつもいた小さなネズミを思い出したんだ。スタジオのゴミ箱の周りをちょこちょこ走り回っていた、あの愛らしい生き物をね」
当初、ウォルトはそのネズミを「モーティマー(Mortimer)」と名付けようとしました。しかし、同行していた妻のリリアンが「それでは気取りすぎていて親しみが持てない。『ミッキー』にするべきよ」と助言したことで、歴史に名を刻む「ミッキーマウス」が決定したのです。他者に権利を依存する構造がいかに脆いかを痛感したウォルトは、この日を境に「自社の権利を完全にコントロールする」という強固な経営方針を確立することになります。