松本明子の経歴を語る上で避けて通れないのが、1984年3月に発生した「放送禁止用語事件」です。当時17歳だった彼女は、フジテレビ系列の生放送特別番組(ラジオ・テレビ同時生中継企画)に出演していました。伸び悩む現状を打開したいという焦燥感のなか、共演していたタレントや司会陣からの強烈なそそのかしを受け、カメラに向かって女性の性器を指す禁止用語を叫んでしまったのです。
スタジオは一瞬にして凍りつき、番組はそのまま進行したものの、放送直後からテレビ局には抗議電話が殺到。事態を重く見た所属事務所と各放送局により、彼女には約2年間の芸能活動停止処分(事実上の謹慎)が下されました。当時を振り返る本人の自著や後年の手記によると、地方ロケはおろかテレビ局の敷居をまたぐことすら許されず、事務所のデスク清掃やお茶くみ、先輩タレントの送り迎えをこなす日々が続いたと告白されています。
多くのアイドルであれば引退へ追い込まれる絶望的な状況でしたが、この逆境こそが「元祖バラドルへの転身理由」の契機となりました。謹慎が解けた後、正統派アイドルの席は完全に失われていたものの、彼女は「笑われること」や「泥をかぶること」を一切厭わない覚悟を決めます。フジテレビ系『ものまね王座決定戦』での体を張ったデフォルメものまねや、日本テレビ系『DAISUKI!』、そして社会現象となった『進め!電波少年』での危険を顧みない体当たりロケを通じて、独自のポジションを切り拓いていきました。