新撰組と岡田以蔵の真相|所属の噂と沖田総司との比較を検証

新撰組と岡田以蔵の真相|所属の噂と沖田総司との比較を検証

新撰組と岡田以蔵の真相|所属の噂と沖田総司との比較を検証にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

京を追放された以蔵は、間もなく土佐藩の役人に身柄を拘束され、故郷・土佐へと護送されます。待ち受けていたのは、かつて心酔した武市半平太をはじめとする土佐勤王党への徹底的な弾圧でした。

過酷を極める拷問の中で、以蔵は次々と同志たちの暗殺関与を自白してしまいます。武士としての身分が低く、精神的にも追い詰められていた以蔵は、厳しい責め苦に耐え切ることができませんでした。この裏切りを知った武市半平太は、獄中から同志に宛てた手紙の中で「以蔵は誠に日本一の泣き虫である」「毒を盛って口を封じるべきではないか」とまで記し、かつて自分の手足として人を斬らせ続けた弟子の始末を画策します。

人斬り以蔵の経歴と処刑理由は、土佐藩庁による「首謀者・武市半平太の罪状確定」と「市中を騒乱させた天誅・暗殺の実行犯としての断罪」でした。慶応元年(1865年)閏5月11日、岡田以蔵は打ち首となり、28年の短い生涯を閉じました。武市が切腹を許されたのに対し、以蔵は罪人として斬首され、首を晒されるという屈辱的な最期でした。

処刑の直前、以蔵が残したとされる有名な辞世の句が今に伝わっています。

「君が為 尽す心は 水の泡 消にしのちこそ 澄ましづの魚」
(主君のため、国のためにと尽くした私の真心は、水泡のように儚く消えてしまった。泡が消え去った後にこそ、澄んだ水の底で魚は静かに泳げるようになるのだろうか)

自分を道具として使い捨てた武市への怨嗟と、それでも武市に認められたかった純粋な忠誠心。二つの感情が交錯するこの句は、組織の闇に呑み込まれて散った若者の悲痛な叫びとして、現代の歴史ファンの胸を締め付けます。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。