活字離れが叫ばれる一方で、エンタテインメント批評の最前線では「脱帽」という言葉がかつてない熱量で再解釈されている。象徴的だったのは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が劇場公開され、のちにAmazonプライムやNetflixなどの動画配信プラットフォームで世界へ配信された際の現象だ。
YouTube上で数百万再生を叩き出す映画系考察クリエイターたちは、庵野秀明監督が数十年越しに完結させた圧倒的な映像密度と物語の幕引きに対し、こぞって「この構成力には完全に脱帽した」と評した。作品を批評・解剖する立場にあるレビュアーたちが、分析のメスを投げ出して自らの敗北を認める。まさにその降伏の宣言として、この言葉が機能していた。
ソーシャルメディアの即時的なリアクションの中で、「神回」「天才」といった手垢のついたスラングに飽き足らない発信者たちが、自身の語彙の限界と最大の敬意を表明するために「脱帽」を選ぶ。デジタル空間におけるカルチャー批評の場で、この古典的な慣用句は新たな生命を得ている。