国内の混乱ばかりが強調されがちな宇野政権だが、外交面では冷戦終末期における重要な舵取りを行っていた。首相就任直後の1989年6月4日、中国で天安門事件が発生。西側諸国が厳しい対中制裁を打ち出す中、宇野政権は過度な孤立化を防ぐべく、独自の懸念表明と現実的な対話路線の維持を模索した。
同年7月にフランスで開催されたアルシュ・サミット(第15回先進国首脳会議)では、国内での政治的窮地に立たされながらも出席。国際協調とアジアの安定を説く姿勢は、各国の首脳陣から一定の評価を受けた。短期間で姿を消したとはいえ、その外交判断の残響は後の日本の対アジア外交に長く影響を落とすこととなった。