夫である十八代目中村勘三郎との日々は、まさに疾風怒濤そのものだった。「型があるから型破り、型が無ければ形無し」という信念のもと、既存の枠組みを打ち破り続けた希代の天才。歌舞伎座の檜舞台で観客を熱狂させたかと思えば、浅草の隅田公園に仮設劇場を建てて平成中村座を立ち上げ、ニューヨークやヨーロッパへと飛び出していく。その背中を最も近くで見守り、時に手綱を引き、時に背中を押し続けたのが彼女だった。
天才役者の情熱は、時に家庭や周囲を巻き込む激しい嵐となる。しかし、どんなに無茶な挑戦であっても、彼女は決して取り乱すことなく、静かに夫の帰る場所を守り抜いた。役者・中村勘三郎の奔放な才能が最大限に開花したのは、彼女という絶対的な安全基地があったからに他ならない。