1990年代後半、日本のプロレス界は未曾有の多団体時代を迎えていました。アントニオ猪木が創設し、道場での過酷なスパーリングとストロングスタイルを絶対的正義とする新日本プロレス。その現場を取り仕切っていたのが現場監督の長州力でした。一方、全日本プロレスを怪我で退団後、わずか数万円の資金からFMWを旗揚げし、涙と有刺鉄線、そして電流爆破でファンを熱狂させたのが大仁田厚です。
当時の新日本プロレスにとって、インディー団体の雄である大仁田厚は「邪道」であり、受け入れがたい存在でした。しかし、大仁田は執拗に新日本プロレスへの参戦をアピールします。1999年から2000年にかけて、大仁田は試合会場への神出鬼没な乱入やゲリラ的な記者会見を敢行し、長州力を標的に定めました。テレビカメラの前で繰り広げられる執念のアピールは、ファンやマスコミを巻き込み、両者の対決はもはや不可避の社会現象へと発展していったのです。