『九成宮醴泉銘』が誕生したのは、唐の最盛期の幕開けとなった貞観6年(632年)のことです。太宗皇帝がかつて隋の文帝が建てた離宮「仁寿宮」を改修し、「九成宮」と改名して避暑に訪れた際、庭園の片隅に芳醇で甘美な泉(醴泉)が湧き出たことを記念して建立されました。
当時の朝廷において、この吉兆を文章にまとめる大役を担ったのが、皇帝の側近として名高い名臣・魏徴です。そして、その撰文を石碑に刻むための揮毫を命じられたのが、当代随一の能書家であった欧陽詢でした。当時の欧陽詢は数えで75歳。長い鍛錬の末に無駄を削ぎ落とし、技術・精神ともに円熟の頂点に達していた時期にあたります。
天下の平和を寿ぎつつも、皇帝に対して「驕りを戒め、徳を修めること」を直言した魏徴の格調高い漢文と、欧陽詢の研ぎ澄まされた文字。政治と芸術の最高峰が交差した瞬間に生まれたからこそ、この碑文は単なる記録を超えた歴史的名作となりました。