両国の衝突を正しく理解するには、「アメリカとイランはなぜ対立するのか」という根本的な歴史の文脈に立ち返る必要があります。かつて1970年代以前、パフラヴィー王朝下のイランは中東におけるアメリカの最大の同盟国でした。しかし、その親米路線と近代化政策は民衆の強い反発を招くことになります。
決定的な転換点は1979年のイラン・イスラム革命です。ホメイニ師を中心とする宗教指導者が実権を握り、米大使館人質事件が発生したことで両国の国交は断絶。米国はイランにとって「大悪魔」と規定され、イランは米国にとって「テロ支援国家」と位置づけられる構造的な敵対関係が固定化しました。
その後、2015年にオバマ米政権下で「包括的共同行動計画(イラン核合意)」が締結され、緊張緩和の兆しが見えた時期もありました。しかし、2018年にトランプ米政権(当時)が合意を一方的に破棄。制裁解除という経済的果実を奪われたイラン側には深い不信感が刻まれ、強硬派が台頭する決定打となりました。
さらに火に油を注いだのが、2020年1月のソレイマニ司令官殺害の経緯です。イランの精鋭部隊であるイスラム革命防衛隊「コッズ部隊」を率い、中東全域の対米・対イスラエルネットワークを統括していた英雄的指導者を米軍が無人機で暗殺。イラン国内では数百万規模の追悼デモが巻き起こり、イラク国内の米軍基地へ数十発の弾道ミサイルを撃ち込む米軍基地報復攻撃へと発展しました。この時に生じた感情的・軍事的な亀裂は修復されないまま、今日まで連鎖しています。