物語の最大の焦点であり、読者が最も心を揺さぶられるのがアレクサンダとぜんまいねずみの結末です。トカゲの教えに従い、満月の夜に願いを叶える「紫の小石」を苦労の末に見つけ出したアレクサンダ。彼が走ってウィリーのもとへ向かったとき、目にしたのは残酷な現実でした。アニーの誕生祝いが終わり、古くなったウィリーは他の壊れた玩具とともに「くずかご」へと投げ捨てられていたのです。
翌朝にはゴミ箱へ捨てられる運命を前に、アレクサンダは迷うことなく満月に向かって紫の小石を掲げました。「ぼくをぜんまいねずみにしてほしい」ではなく、「ウィリーを、ぼくのような本物のねずみにしてほしい」と叫んだのです。
なぜアレクサンダは、自らの長年の悲願を捨て、友を救う決断を下したのでしょうか。精神分析や関係性の社会学から見れば、ここには「所有モード(Having)」から「存在モード(Being)」への劇的なパラダイムシフトが存在します。
アレクサンダが当初求めていたのは、「人から愛される対象になること(受動的な愛)」でした。しかし、くずかごに捨てられたウィリーを見た瞬間、玩具の愛され方が「条件付きの愛(役に立つ間だけ可愛がられ、飽きられたら捨てられる)」に過ぎないという虚妄性に直面します。それに対し、アレクサンダがウィリーに向けていた感情は、見返りを求めない「能動的な愛」でした。友の命の危機を前にしたとき、アレクサンダの中で「愛されたい」という未熟な承認欲求は消え去り、「この命を守りたい」という強固な利他性が覚醒したのです。自分と同じ「本物のねずみ」に変えるという願いは、過酷であっても自由で生きた自己の存在を、彼が真の意味で肯定した瞬間でもありました。