『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を単なる「穏やかな日曜日の点描画」として鑑賞すると、スーラが仕掛けた真の企図を見落とすことになります。本作にちりばめられた不自然なディテールには、1880年代のパリ社会が抱えていた暗部を暴く計算された意図が存在します。
最大の謎として美術史家たちの議論を呼んできたのが、画面右端の最前面に立つ男女の足元にいる「鎖につながれた猿」の存在です。中産階級の優雅な散歩に、なぜ小型の猿が同行しているのでしょうか。当時のフランスにおいて、猿(singe)は単なるエキゾチックなペットではありませんでした。フランス語の慣用表現で「猿真似をする(faire le singe)」はふざけた行動を指すだけでなく、スラングでは放埒な情欲や「売春」の直接的なメタファーとして機能していました。つまり、豪華なバッスルドレスを纏って澄まし顔をしているこの女性は、裕福な紳士に囲われた高級娼婦(クルチザンヌ)であることを暗に告発しているのです。
さらに視線を左側の水辺に移すと、シルクハットをかぶった男性の傍らで、静かに釣り糸を垂らす女性の姿が確認できます。セーヌ川のこの場所で釣りをすること自体が当時の風俗としては極めて異例でした。ここでもフランス語の言語的トリックが仕掛けられています。「魚を釣る(pêcher)」という言葉は、キリスト教的な「罪を犯す(pécher)」と同音異義語の関係にあります。水辺で獲物を狙う彼女の姿は、川面の魚ではなく「裕福な男性客を釣り上げようとする夜の女」の隠喩に他なりません。
パリ中心部からわずか数キロ、セーヌ川に浮かぶグランド・ジャット島は、ボート遊びやピクニックで賑わう行楽地であると同時に、週末には富裕層と裏社会が交錯する逢引きと買春の温床でした。スーラは、流行の最先端を着飾って上品ぶる人々を描きながら、その足元に性的な堕落と虚飾のシンボルを紛れ込ませることで、ブルジョワジーの欺瞞を冷徹に告発してみせたのです。