1963年、17歳で吉本興業に入社した彼女は、杉本ヘレンの芸名で吉本新喜劇の舞台に立ちます。当時の吉本新喜劇は黎明期から成長期へと向かう過渡期にあり、コメディアンたちが泥臭い笑いを追求する中で、彼女の存在は異次元の華やかさを放っていました。
持ち前のコメディセンスと愛らしい関西弁のギャップも手伝い、彼女はまたたく間に吉本新喜劇の看板女優(トップマドンナ)へと君臨。当時の劇団内における彼女のポジションは絶対的なものであり、劇場のポスターや看板では常に中央に配置される花形スターでした。
当時の新喜劇における彼女のギャランティは若手の中でも群を抜いており、興行主や吉本幹部からも「劇場の宝」として極めて大切に扱われていました。その華々しいキャリアの絶頂期に訪れたのが、運命の出会いでした。