学生時代に神田神保町の古書店街を練り歩き、映画や寄席に没頭した青春期。明治大学政治経済学部に在学中から、彼はすでに演芸や娯楽の真髄に触れていた。学内の演芸研究会で早々に頭角を現すと、卒業後は自然な流れで放送の世界へと飛び込んでいく。
当時、マスメディアのなかで独自の進化を遂げていたのがラジオ演芸であり、若者たちの間で急速に熱気を帯びていたサブカルチャーの潮流であった。彼は単に番組の台本を書くだけの作家にとどまらなかった。演者の個性を極限まで引き出し、ストリートの熱気や時代の空気を電波に乗せるセンスに長けていたのだ。テレビの黄金期を陰で支えつつも、彼が最も愛し、その本領を発揮し続けた主戦場は、常にラジオのスタジオであった。