作品を鑑賞した年代によって、評価がこれほど劇的に分かれるキャラクターは日本アニメーション史上でも極めて稀です。子供の視点で見れば、大好物のドロップを慈しみ、妹をあやす清太の味方になり、母の着物を手放させ、雑炊の底から米粒をすくって自分の家族にだけ与えるおばさんは、紛れもない「冷酷な圧迫者」として映ります。しかし、大人になって自ら生計を立て、家庭や組織を維持する立場から見直すと、彼女が口にする言葉の背後にある過酷な現実が浮き彫りになります。
おばさんが清太に投げかける言葉は、感情的な嫌がらせというよりも、当時の日本社会における極めてシビアな生活規範そのものでした。「お国のために働いている人たちにご飯を食べさせなければならない」「学校も工場も行かずに、一日中遊んでいる者に同じだけの白米は出せない」という主張は、現代の価値観から見れば冷徹に響くものの、戦局が悪化の一途を辿っていた1945年当時の共同体論理としては紛れもない「正論」でした。
視聴者のコミュニティやSNS上でも、「子供の頃はただただ意地悪なおばさんだと思って観ていたけれど、親になって食費や備蓄のやりくりを考えると、他人の子どもを2人も抱え込む重圧は計り知れない」「仕事も手伝いもせず蚊帳の中でオルガンを弾いている清太を見て苛立つのは、生活者として当然の感覚」といった意見が圧倒的多数を占めるようになっています。善悪の二元論では片付けられない生活の生々しさが、長年語り継がれる議論の原動力となっています。