Q1:鹿鳴館時代はいつからいつまで続いたのですか?
A1:鹿鳴館が落成した1883年(明治16年)から、外務大臣・井上馨が条約改正交渉の失敗を受けて辞任した1887年(明治20年)までの約4年間が、いわゆる狭義の「鹿鳴館時代」です。その後、建物は華族会館などに払い下げられ、1940年(昭和15年)に解体されるまで別の用途で使用されました。
Q2:鹿鳴館の跡地は現在どうなっているのですか?
A2:現在の東京都千代田区内幸町(帝国ホテル隣接の「NBF日比谷ビル」周辺)に位置していました。現在その敷地の一角には、東京都教育委員会が設置した「鹿鳴館跡」の記念碑がひっそりと佇んでおり、往時の華やかな歴史を今に伝えています。
Q3:なぜ当時の女性たちは着物ではなくバッスルドレスを着なければならなかったのですか?
A3:欧米列強に対し、日本が文明開化を遂げた近代国家であることを視覚的に認知させ、治外法権の撤廃などの条約改正を有利に進めるための国家的な対外プロパガンダだったためです。1886年には宮中においても洋装令が出され、貴族・高官の女性たちにとって洋装は外交上の公式義務とされていました。