西郷隆盛の死因の真相を徹底解明|被弾と介錯の壮絶な最期と首の謎

西郷隆盛の死因の真相を徹底解明|被弾と介錯の壮絶な最期と首の謎

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西郷隆盛の訃報が東京に届いた際、明治政府の内務卿として討伐を指揮した大久保利通が見せた姿は、冷徹な為政者のそれではありませんでした。幼少期からの無二の親友であり、国家の未来をめぐって対立の果てに袂を分かった西郷の死を知った大久保は、自室に閉じこもり、号泣しながら西郷から届いた過去の手紙を握りしめていたと側近たちが証言しています。大久保自身もまた、西郷の死からわずか8か月後、紀尾井坂の変で暗殺され非業の最期を遂げることになります。

一方で、民衆の間では西郷の死を信じたくないという心理的防衛機制が急速に働き、いわゆる「西郷隆盛生存説」が燎原の火のごとく日本中を席巻しました。

「西郷は死んでいない。城山を脱出してロシアへ密航した」「清国やシベリアに渡り、大軍を率いて再び日本に戻ってくる」といった風説が飛び交い、当時の新聞各紙や錦絵に描かれて飛ぶように売れました。明治10年の末には、夜空に赤く輝く火星の近くに西郷の姿が見えるという「西郷星(さいごうぼし)」の怪奇現象が民衆の間で大真面目に信じられたほどです。

さらに明治24年(1891年)、ロシア帝国皇太子(のちのニコライ2世)が来日した際、西郷が同伴して帰国するという噂が真実味を帯びて広まり、大津事件の一因になったとも言われています。英雄のあまりにも潔く悲劇的な死は、人々に「死の受容」を拒絶させ、神話化へと昇華させていったのです。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。