創価学会と中国の関係を語るうえで、避けて通れない原点が1968年9月8日に開かれた創価学会第11回学生部総会です。当時満40歳の池田大作会長(当時)が1万人を超える学生を前に発表したのが、いわゆる「日中国交正常化提言」でした。
当時の日本は冷戦のただ中にあり、政府は台湾(中華民国)との国交を維持していました。中国本土では文化大革命の嵐が吹き荒れ、日本国内では中国を警戒する空気が圧倒的でした。自民党親台派や右翼勢力からの激しい非難や脅迫が渦巻くなか、池田氏は「中華人民共和国の承認」「国連代表権の回復」「日中間の貿易・文化交流の促進」を公式に呼びかけました。当時の政界関係者の証言録によると、右派系メディアからは「赤化勢力への屈服」と猛烈なバッシングを浴びましたが、この提言は北京の指導部に強い衝撃を与えました。
この提言の波紋は、1972年の田中角栄首相による国交正常化へとつながる実務交渉に直結します。当時、野党・公明党の委員長だった竹入義勝氏らが北京に飛び、周恩来総理と直接交渉を重ねて「竹入メモ」を作成。これが自民党・田中政権による訪中決断の決定的な下地となりました。
そして1974年12月5日、歴史的な会見が実現します。末期がんで北京の305病院に入院中だった周恩来総理が、医師団の猛反対を押し切って池田氏との対談に応じたのです。周総理は「あなたとはどうしても会いたかった。あなたが若く、未来を託せるからだ」と語りかけたと、当時の公式記録や手記に記されています。中国外交において「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れない(吃水不忘挖井人)」という諺がありますが、中国側にとって創価学会はまさに、国交樹立という乾いた大地に命の井戸を掘った恩人として刻み込まれたのです。