二人の関係が急速に進展したのは、典子夫人が女学校から慶應義塾大学へと進学する前後のことでした。1955年12月、慎太郎氏が23歳、典子夫人がまだ17歳(高校3年生の冬)のときに二人は婚姻届を提出し、正式に夫婦となりました。
この結婚は、慎太郎氏が短編小説『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞するわずか1か月前という極めてドラマチックなタイミングで行われました。当時の慎太郎氏は文名こそ一部で知られ始めていたものの、定職や安定した収入はなく、経済的には極めて困窮した状況にありました。
なぜこの不安定な時期に若すぎる電撃結婚を決断したのか。そこには複数の決定的な理由が存在しました。
- 母・光子氏の強い勧め:慎太郎氏の母は、奔放で危なっかしい長男を精神的に落ち着かせるため、気品と教養を兼ね備えた親戚の典子さんを早く嫁に迎えたいと熱望していた。
- 「この女を逃したくない」という直感:慶應義塾大学文学部仏文科へ進学が決まるなど知性と美貌を兼ね備えていた典子夫人に対し、慎太郎氏は「他の男に奪われる前に自分の伴侶にしたい」という強烈な独占欲を抱いていた。
- 背水の陣としての覚悟:貧乏のどん底にあっても「俺が必ず食わせてみせる」という作家としてのプライドと覚悟を行動で証明するための決断であった。
典子夫人の実家側は、17歳という若さや慎太郎氏の将来の不安定さを懸念し当初は難色を示しましたが、慎太郎氏の熱意と母・光子氏の説得によって結婚が承諾されました。入籍直後に芥川賞受賞の吉報が届き、夫婦の門出は時代の熱狂とともに幕を開けました。