旧朝倉家住宅が建てられたのは大正8年(1919年)のことです。施主は東京府議会議長や渋谷町議会議長を歴任し、地域の発展に尽力した実力者・朝倉虎治郎でした。当時、この一帯は東京近郊ののどかな農村・別荘地であり、朝倉家は精米業などを営む大地主として広く知られていました。
しかし、その後の東京を襲った数々の苦難を考慮すると、木造建築である旧朝倉家住宅が現在まで完全な姿を保っていること自体がまさに「奇跡」と言わざるを得ません。1923年の関東大震災を耐え抜いた邸宅を待ち受けていたのは、第二次世界大戦末期の東京大空襲でした。渋谷一帯が焦土と化すなか、この屋敷は周囲の緑豊かな地形や風向きの偶然も重なり、奇跡的に焼失を免れたのです。
さらに戦後、この邸宅にはもう一つの大きな転機が訪れました。終戦後の財産税導入などに伴い、1947年に屋敷は朝倉家の手を離れて大蔵省(現・財務省)の所管となります。その後、内閣総理府研修所分館や経済企画庁の渋谷分室として、長年にわたり国の公的な施設として使用され続けました。
1980年代のバブル期には、代官山エリア一帯に凄まじい地上げや再開発の波が押し寄せました。もしここが民間の私有地のままであったなら、解体されてマンションや商業ビルに姿を変えていた可能性は極めて高かったはずです。国が公用施設として管理・維持し続けたことで開発の手から守られ、2004年に国の重要文化財に指定。2008年からは渋谷区による一般公開が実現しました。歴史の激動と国有化という保護の仕組みが重なり合って、大正の息吹が令和の代官山に受け継がれています。