狂気に満ちた歴代趙王の中で、唯一の希望として描かれたのが悼襄王の長男・公子嘉でした。聡明で民を慈しみ、李牧とも固い信頼関係で結ばれていた嘉が順当に王位を継いでいれば、趙国は秦と対等に渡り合い、中華の歴史は大きく変わっていたはずでした。
しかし、悼襄王の身勝手な遺言により王位を剥奪された公子嘉は、幽繆王の即位後、命の危険を感じながらも国の行く末を憂い続けます。そして邯鄲が秦軍によって陥落した紀元前228年、嘉は数百人の側近や李牧軍の残党とともに北方へと脱出しました。
逃亡先の「代(現在の河北省北部・山西省一帯)」の地で、嘉は現地の豪族たちに推戴されて代王嘉として即位し、亡命政権である「代国」を樹立します。燕国と結んで秦に対する必死の抵抗を続けましたが、紀元前222年、秦の将軍・王賁率いる大軍によって代国は攻め滅ぼされ、公子嘉は捕らえられました。ここに名門・趙国は名実ともに完全に滅亡を迎え、公子嘉は「趙国における最後の王」としてその波乱に満ちた生涯を閉じることになります。